目の前のエサ

目の前のエサを食う。


人間含め、
生き物全ての行動はコレしかない。


適切な難易度設定を続けると、
ハマるとよく言うが、
コレも目の前のエサだ。


遠くのエサだとダメで、
モチベーションには殆どならない。
しかし近くのエサなら無意識に、
ほぼ自動的に食べてしまう。


エサが連続すると歩き続ける。
そして人間は達成感をエサにできる。


書類作成せねばならない時、
書類作成しようでは中々動けない。
気合い入れて、やる気だして、根性で頑張るしかない。


だが、
取り敢えず1文字打とうと決める。
決めるだけ。すると勝手に1文字打つ。
次に1行打つと決める。勝手に動ける。
また次の1文字を打とうと決める…


勝手に気づいたら目標達成できている。
やる事は決めるだけ。

まず信じる事

何かが出来るようになるとき、

まず信じる事から始まる。

 

ほとんどの人が自転車に乗れる。

自転車に乗れるようになった時、

どうやって乗れるようになったのか?

 

まずカッコ良い自転車を買ってもらう。嬉しい。

補助輪がついているので、

漕ぎさえすれば進む。

乗れていると思い込める。

 

実際乗れている訳だが、

乗れているの定義は?

大人基準なら?競輪選手基準なら?

乗れているとは程遠い。

 

しかし競輪選手も最初は、

補助輪つき自転車から乗り始める。

 

自転車に乗れていると思った後、

補助輪を外すものなのだと知る。

しばらく乗っていると、

自分も補助輪を外しても大丈夫だと心から思えるようになる。

 

実際に外す。

最初こそフラつくが実際に乗れる。

まず信じる事で習得できる。次のステージへ進める。

 

自分を信じられるように、

今いるステージで心ゆくまで経験を積む。

案外簡単かもしれないから挑戦して見る。

その繰り返しで何事もできるようになる。

 

快。

詰まりが無くスピード感がある時、

人が感じるモノ。

 

月曜日の朝、あなたは仕事を始めた。

とても眠い。身体が重い。

やっとの思いでPCの電源を入れる。

 

PCのソフトウェアアップデートが走る。

所要時間は25分と出ている。

「なんでいきなり、、」と思いながら、コーヒーを飲む。

 

しばらく待ち、アップデートが終わりそうになる。

残り2分。

こんな時に停電だ。

長い時間停電になる。

復旧した頃にはもうお昼だった。

 

お昼休みを取り、そのあとにPCを起動。

そうだ、アップデートが終わっていなかったんだ。

その日、まともに仕事を開始できたのは15時だった。

 

新しいソフトウェアバージョンの影響か、

心なしかPCの動作が重い。

ボタン配置も変わっていたので、手間取る場面もあった。

 

そうこうしている内に業務終了。

こなした仕事は殆どなかった。

負担は小さいはずなのに、なぜかモヤモヤする。

それを解消するため、飲みに行った。

 

読んでいるだけで、

不快な気持ち、

疲れるような感覚にならないだろうか。

 

例えば、アップデートが始まった時に、

他の仕事を手伝う。

把握している内容だったので、

チームをうまくリードして仕事が進む。

そうなっていればどうだったろうか?

 

その方が負担が大きいのに、不快感がない。

快い気持ちで仕事を終えられるだろう。

 

仕事にせよ、勉強にせよ、

詰まりがある感覚を人間は不快だと感じる。

そしてモチベーションも奪っていく。

すると更にスピード感の欠ける、

詰まりのある状態になる。。。

悪循環だ。

 

快く仕事をするには、

本当に意味あることで無くても良いから(程度によるが)

詰まりがなく、

連続して一つ一つ進められている感覚が必要だ。

 

前に進んでいる感覚が得られる。

すると煮詰まってメンタルに負担がかかるのに、

何もアウトプットできてない、

そんな事態を避けることが出来る。

 

・まずは一歩進む

・単純に手のスピードを上げて動く

この二点に気をつけるだけで、

精神的な負担が減るだろう。

 

元々何も成果が上がらない状態なら、

別の考え方を試しても損はない筈だ。

アメとムチ

アメとムチ。

月並みな言葉だが、人を動かす原則だ。

 

人は超ド短期でしか物事を判断できない。

遠くの大きなメリットより、

近くの小さなメリットを取る。

 

またデメリット0が大好きだ。

そうでないと受け入れられない。

無条件のデメリットを最も嫌う。

頭を軽く叩かれ続けるだけでも発狂する。

 

これは他者を動かす時も、

自分を動かす時も作用する原則だ。

 

実際に東大に入れば生涯賃金が数億円上がる、

そう言われても疑う人は少ないだろう。

だが実際には入学していない人が多い。

毎日、少しづつ苦労する勉強ができない。

 

それに対して

ジャンクフード、お酒、お菓子、SNS...

こういうものはずっと継続できていないか。

将来困るとわかっていても、

目の前ですぐ少し気持ちよくなれる。

そういう行動は自動的に選択してしまう。

 

また、

無条件に10円ちょうだい、5分ちょうだい

なんて言われると物凄く不快になる。

デメリットは大きさ関わらず、

全て避けたがる。それが人。

 

強面の営業マンなんかは、

売り込み時に買えば自分と離れられるという

メリットを与えられる。

粘り続ければ相手は緊張する時間を長く過ごさなければならない。

 

SNSで1いいね増えそうな投稿はしてしまうのに、

月給が2万円増えそうな資格の勉強はしない。

目の前にあるものでしか判断できない。

 

この勉強の例で言えば、

人生単位での指針は長期的に判断する。

しかし自分を動かすには、

勉強に短期的な気持ち良さを持たせる必要がある。

 

単語カードにまで分割し、

単語カードを1枚ずつ覚えていく。

すぐに覚えたか確認する。

 

そうすればたった1枚分だが、

すぐ知識が増えた事を実感できる。

気づけば1枚を何度も繰り返している。

 

その状態に入れば、

自動的に知識が手に入るようなものだ。

己の道は、犠牲多き道か?

自分が心底納得できる生き方。

それが結果的に全てを手に入れる方法。

 

自分のやりたい事ばかりやる=周りに迷惑をかける

というイメージは無いだろうか。

それは誤り。

 

自分のやりたい事をやらない事、

それこそが最も周りに迷惑をかける。

 

具体的には、

・主語が自分でない行動

・嫌いな事に触れる時間を長くする

これらは禁忌と言っても良い。

 

主語が自分でない行動について。

人のためにやってあげる行為の事だ。

 

例えば仕事ができない人がいる、

じゃあ代わりにやっておくよ。

とすれば、

相手は喜ぶかもしれない。

 

しかし、それは相手から成長機会を奪っている事にもなる。

相手のためを思ってやった事が、

相手のためになっていないのだ。

 

そして貴方は、

やってあげたという貸しの気持ちがある。

あと普通に仕事が増えて疲れる。

お互いに損しかない。lose-loseだ。

 

じゃあどうすれば良いのか?

仕事ができない事を知った時、

自分の為にどうすれば良いか考える。

 

気が進まないなら断るのも良いだろう。

断った所で本来貴方がやるべきなら、

巡り巡って、貴方の上司から貴方に回ってくる。

 

実際その部下を対応するとなったら、

自分が今後良いと思う、得する選択肢はなんだろうか?

長い目で見れば、仕事を覚えてもらって、

仕事を増やされるどころか、

むしろ仕事を手伝ってくれる部下になってもらうのが特だ。

 

仕事を覚えてもらうと、

部下からは教えた事を感謝される。

貴方はそれ以降仕事が楽になる。

どちらも得する。win-winだ。

 

嫌いな事に触れる時間を長くする、について。

Aさんというサラリーマンがいたとしよう。

その方は、やりたくないが会社勤めをしている。

家族のために。

 

本人は昔からラーメンが大好きで、

ラーメン屋を開きたいと思っていた。

しかし年頃になり結婚し、娘が生まれ、家庭を持つ様になった。

夢なんて甘えた事。家族のために生きると決めた。男気溢れている。

 

だが、そもそもやりたくない仕事だ。

毎日毎日、仕事をする度ストレスが積み重なる。

家ではしっかり休まなければならない。

家族のために稼がないといけないから。

 

しかし家では、

「休日くらい家事手伝ってよ」と言われる。

それに「休みくらい寝かせてくれよ」と返す。

家でもストレスがたまる。

 

俺が稼いでやってる、だから食えてるんだぞ。

口にはしないがそんな気持ちが積もる。

 

ラーメン屋の経営は諦めたが、

気持ちはラーメンに向き続けている。

月15000円の小遣いの一部を握りしめ、

遠くの街まで極上のラーメンを食べに行く。

彼の唯一のストレス解消法だ。

 

本人としては家族のために毎日戦っている男。

しかし家族からすれば、

せっかくの休みに寝てばかりの、冴えない中年オヤジ。

娘は小学校高学年にもなると、

口も聞いてくれなくなった。

娘が嫌がるので自分の洗濯物は分けて自分で洗う。

 

たまにラーメンを食べるくらいでは、

追いつかないストレスが日々襲いかかる。

ストレスの限界で奥さんに小言を言われる。

我慢の限界で怒鳴ってしまった。

 

以前から不満を持たれており、

怒鳴った事がきっかけで離婚。

我が子と会うことも叶わない。

 

家族のために生きてきたのに、

家族を失ってしまった。

彼には何も残っていない。。。

 

彼の人生を少し巻き戻して、

軌道修正しよう。

たまのストレス解消のラーメン屋。

どうしても、ラーメン屋経営への気持ちが抑えられない事に気づく。

 

なんと家族への相談もなしに退職。

もちろん家族には物凄く怒られる。

しかし、自分の我を通すためやった事。

逆ギレなどしようハズもない。

 

家族に収入面で当面は迷惑がかかるだろう。

家族と今までにないほど、真剣に話し合う。

家事も半分やる事に決めた。

真剣に話した気持ちが伝わり、

家族も店の営業を手伝ってくれる事に。

 

軍資金を退職金から出し、念願のラーメン屋を開店した。

もちろん最初は苦労した。

しかしやりたい事をやれている、

その事が彼に感謝の気持ちをもたらし、

体力的にはかなり苦しいはずだが、

家事も、仕事もこなした。

 

店も軌道に乗った。

いつしか彼の店は家族の思い出の店となった。

彼が引退した後、娘が店を継いだそうだ。。。

 

勿論これは創作上の話で、

無理があるかもしれない。

 

だが、

人の課題を勝手に背負っても結局は解決できない、

好きなことは続くが、嫌いな事を続けると限界が来てしまう。

これは間違いない。

 

貴方はどう生きる?

良い

良いとは、悪さの含有量が基準値未満なこと。

 

整形モンスターなんてスラング?があるが、

そういう人たちは良いの定義がズレている様に思う。

 

基本的に人と感覚がズレている人というのは、

その人の脳内辞書が微妙に違っている。

言葉の解釈が違うと、

言葉を道具にして行う思考はかなり違ってくる。

 

整形モンスター達は、

同じ手段を積み重ねるだけで、

容姿が良くなるという前提を持っているのだろう。

(もしくは自己否定で容姿を総取っ替えしたいとか)

 

しかし、

そもそも良いというのは、

悪いを含む量が少ない且つ基準値未満という事なのである。

 

整形モンスターの話で言えば、

容姿を良くする目的なら、

ファッションセンス、美容、姿勢、考え方、、

他にも改善するところが沢山ある。

 

なのに整形の一点だけに拘るのだ。

悪いところを無くすという

地味な作業に可能性を信じないから。

 

テレビで美容整形外科の先生が言っていた。

大きなホクロがあり、鼻がそこそこ高い人が、

「鼻にコンプレックスがあるので高くしてください」

と相談に来るそうだ。

 

優れているところを磨けば、変わる。

そう信じている。

 

しかし違う。

良いは悪いと対になる且つ、

基準ラインが加えられるもの。

マシの延長なのだ。

悪いマシ良いのベン図

悪い、マシ、良いの関係はこの様になる。

悪い部分が減ってくれば、

マシになり、

一定水準を超えると、良いと言われる。

 

つまり、

今よりマシになる事。

今より良くなる事。

どちらも手段は同じなのだ。

現状の悪いところを探し、直す。

ただそれだけ。

 

「悪い部分を直すのは時間の無駄、良い部分を伸ばす方が良い」

良く聞く考え方だ。

そして、これは正しい。

 

この考え方は、

例えば人と話すのがとても苦手、

しかし黙々と作業するのが得意、

だから会話が要求されない、作業で評価される仕事に就くべき。

という様な話。

 

つまり悪い部分が0点でも良い領域に行くという話だ。

要求されていない以上、

挨拶すらまともに出来なかったとしても、

基準以上。つまり良いのだ。

 

重要なことは

良いはマシの延長であること、

基準ラインを意識することだ。

 

多くの人はそれもわからず漠然と今より良くなろうとする。

なので、体当たりで消耗しながら

なんとなく感覚を身につけるしかない。

 

今より良くなる手段が悪い点を潰すことであり、

基準値を越えれば良いのだとゴールが見えれば、

モチベーションも上がり消耗しにくい。

 

周りの人よりもスムーズに成長出来る事だろう。

キャリア

キャリアとは、上に積み上がった物。

 

キャリアといえば、職歴。

そんなイメージがあるかもしれない。

 

けれど、受験勉強を積み上げた結果、

そうでない人間と違う出世ルートを持つ人もいる。

所謂キャリア組。

 

職歴にしても、受験勉強にしても、

共通するのは上に積み上げて来たという事。

それがキャリアになる。

 

活動時間が同じでも、

上に積み上がらない活動からはキャリアにならない。

 

思いつきで、

飲食店で働き、警備員で働き、コールセンターで働き、、、

としても。

上に積みあがらないなら色んなローカルルールを覚えただけ。

 

それらの職を経験し、

自分で考えて、作業者レベルの労働を理解し、

共通項から学びを得られればキャリアを積むキッカケにはなるが。

 

一般的にキャリアを重ねると、

待遇、自分の能力ともに向上する。

 

キャリアというものは普遍的で、

キャリアという言葉とは縁がなさそうな世界でも、

通用する重要な考え方だ。

 

例えば飲食店で働くなら、

アルバイト→社員→店長→マネージャー

という風にキャリアを積み上げていくことが出来る。

待遇、能力とそれに伴う責任も増えていく。

 

逆にキャリアが上に積みあがらない場合として、

A.全く同じ仕事しかしない、

B.上に積みあがらず横の全然関係ない仕事に手を出し続ける、

2通りのパターンがある。

 

キャリアを積み重ねるか否かは、個人の趣向だが、

 

A.の場合は、

代わり映えしない同じ作業を何十年も続け、

後輩が上司になる。それを繰り返す生き方だ。

 

B.の場合は、

どんどん仕事の内容/職場は変わるが、

本質的には同じである、様々な作業を多く経験する。

待遇も微増、微減するだけで、

大きく変化しない。

自分の子ほどの年齢の先輩に、教えを請い続ける事となる。

 

このような話って、

理解している人が少ない。

少なくとも私は、

そんな発想が全く無く20年以上生きてきた。

 

理解している人たちの中では常識だが、

そうでない人は、なんとなく与えられた求人誌を見て、

思いつきで応募して働く。

 

文字通り知っているor知らないで、

住む世界が違うのだ。

 

なので、

上に積み上がるものがキャリア。

 

そう理解した上で行動すれば、

その世界の中で精度やスピードが多少劣っていても、

全体の上位20%のキャリア順調組に入るのではないだろうか。

 

仕事中心で生きて無い、

だからキャリアなんてどうでも良い。

そういう考え方もあるだろう。

 

もちろん仕事が全てではない。

 

例えば同じ45歳でも、

キャリアを上に重ねた課長、

重ねなかったフリーター、

どちらが仕事中心の生活だろうか?

 

前者の方が、

仕事のことを真剣に考えているかもしれない。

だが、時間やお金というリソースの何%を仕事に割いているか?

で考えると、

実は後者の方が割いているのでは無いだろうか。

 

1日は24時間。

高齢になるとアルバイトの採用も減る。

仕事をする以外にも、

仕事を探す時間が増えてくる。

 

そして体力的にも衰えて、

現場の作業は若い頃よりもキツくなる。

怪我や病気の頻度も増えるだろう。

 

正規雇用者の中には、

保険証を持っていない人もそれなりに居る。

 

どちらの方が仕事に支配されず、

自分の人生を生きられるのだろうか?