天国の扉

断れる事。これが天国の扉。

 

世の中には二種類の人間が居る。

断れる人間と、

断れない人間。

 

断れない人間が圧倒的大多数だ。

9割くらいはそうじゃないか。

そういった人間が周りから色々言ってくる。

 

彼らの言う通りにしていると、

当然彼らと同じ様な人生を歩む様になる。

大多数の人間。中央値の生き方。

 

いろんなデータがあるが、

20代なら年収300万円代、貯金は0、交際経験は0~2人。

それが中央値だというデータもある。

別にそういうものが全てじゃない。

 

だがそれらは構造上、

求めれば手に入れるのはそう難しく無いもの。

という事はもっとスケールの大きな、

求めようが手に入れる事が難しいものが、

手に入っているとは考えにくい。

 

それで良いんだろうか?

言い換えれば大多数は我慢の人生だ。

我慢して我慢して、我慢して、

やりたく無い仕事、住みたく無い家に住み。

広告や世間体に流されることに、自分のリソースを燃やす。 

 

得られるものは「普通の人ですね」という、

他人からの評価。

自分で思えることは「俺は落ちこぼれじゃ無い」

ということ位か。

 

そういう生き方が悪い訳じゃ無いが、

転職や、周りの人間とも関係を続けないことだって、

選ぶことはできる。

 

だがその場では断らないほうが楽だ。

だから無意識に断らず、流されて生きていく。

断らないからって人に嫌われないワケじゃ無いのに。

 

だから望まない仕事、疲れ切った顔で満員電車に乗る毎日。

 

断ることができる人間はどうだろうか?

やりたく無いことはやらない。

だからリソースが余る。

 

じゃあやりたい事をやろうと思う。

だからスキル等、やりたい事をする為足りないものが見える。

余っているリソースを使って身につける。

 

楽しくてたまらない仕事に就く、

だから自分から進んで努力する。

成果が出る。収入も上がる。

 

なのに最初に断ることが苦しいので、誰も踏み出さない。

今いる環境で納得する様、

自分に言い聞かせる。

これで良かったんだ。自分はこれがしたかったんだと。

 

そのうち自分の気持ちなんて解らなくなる。

逆に言えば、

これだけの事が手に入るor失うの瀬戸際だと気づかないから、

断るのが苦しい。

 

断ったところであっても嫌われるくらい。

それは断らなくても一緒。

人の気持ちに枷はつけられない。

 

難しいが人生の分岐点ともなる、断るという事。

不格好だったり、人を頼ったり、一時的に人間不信になっても良い。

踏み出せば、望む人生を手に入れられる。

 

自分の気持ちが見えない、

そんな悲しい人間になるな。

脳はスポンジ

インプットする時、情報を探すが、

どのように探しているだろうか?

 

闇雲に検索したり、本を読みまくったりして、

アタリの情報が出ればOK。

という感じでは無いだろうか。

普通そうだと思う。

 

実は脳の仕組みを使えば、

簡単に必要な情報を収集できる。

 

それがまずアウトプットする事だ。

アウトプットは大事と良く言うが、

お題目のようになっている人が多いと思う。

だが実際にやってこそ効果を体感する事だ。

 

ハードルが高いと思うかもしれない。

だが、

最初のアウトプットは短時間で、質が低くて良い。

3秒で「おもったこと」を書くだけで良い。

 

例えば現状やる気が出ないとする。

じゃあまずは「やる気でないなー」と言う、書く。

それだけで良い。

 

その程度のアウトプットが出てしまえば、

あとはその「やる気でないなー」

というキーワードをフックに検索する。本を読む。

これだけでもピントがずれた情報収集をやるリスクは激減する。

 

これだけではない。

正直1回目はこの方法を使おうとも、

使わなくともインプットのクオリティが変わらない人が多い。

 

問題は2回目以降だ。

今回でいうと「やる気が出ない」とかでgoogle検索する、出た記事を読み流す。

その後だ。

 

そこでまたアウトプットする。

「生活習慣を直せとか、睡眠取れとか今すぐ無理だな。お、小さな楽しみを作るってのがある、だけど小さな楽しみって中々無くない?」

などと書く。

 

小さな楽しみを見出す方法がわからない、

という所まで絞れている。

「仕事 楽しみ」などと検索をする。

 

その中で、

ストップウォッチを使って、どれだけ時短するか?

という楽しみ方があるとする。

自分にフィットしそうだとなれば実行する。

 

フィットしないのであれば、

また同じように検索する。

 

さらにこの様に都度アウトプットしている訳だから、

フィットすると思った方法を試して、

合わなかったら、前まで調べていた所に戻る事もできる。

 

欲しい情報へすぐにアクセス出来る、

同じことを調べる時の手戻りが小さい。

二重に時間のロスを防いでくれる方法だ。

お金の動き

お金の動き。
これは明確な原因がある。


使えば減るし、収入があれば増える。
当たり前の動きだ。
それが何を意味するか?
過去のデータから、今後どう動くか?
未来を予測できるという事だ。


何も日本経済とか、株取引とか、
スケールの大きな話だけではない。
個人の家計だってそうだ。


根性で我慢して節約すると、
だいたい2週間で散財するなとか、
使う暇もなく忙しいと勝手に貯まるなとか。


お金のように、
時間軸と量の軸でデータが見られるものは、
コントロールする為にはデータがないと始まらない。


気合で何となく節約しても、
自分に負担が大きい所を削ってしまう。
やった感を得られるから。


データを作るのは面倒だ。
家計簿をつけたり…
しかし逆に言えば、データがあるだけで、
コントロールする為の作業が9割は完了だ。


人の気持ち、健康なんかは、
データは参考にはなるが、
明確な原因を掴みにくい。
なのでコントロールが難しい。


しかしお金は、
支出があったから減るし、
収入があったから増える。
それ以外何もない。


データさえあれば簡単だ。

休憩

休憩は連続を切る事。

 

しっかり満足するまで休む。

そんなイメージもある。

しかし連続を切れれば良いだけである。

5分、1分、いや10秒でも休憩はできる。

 

一瞬今の作業の連続を切って、

頭を真っ白にするだけ。

 

実際8時間ぶっ通しで働いている人、

いるにはいるが少数派である。

多くは勤務時間が長くなっても、

10分休憩、昼休みなどと、

なんども休憩が入る。

 

休憩する事で一番大きな効果は、

視野の狭さをリセットできる事。

 

何をやっていたかちょっと忘れたくらいの、

お手洗いに立った時など、

解決法が思い浮かぶ事は良くある。

 

これがもし8時間連続で作業だとどうだろうか?

8時間の連続でどんどん視野は狭くなり、

翌日になると完全に業務を忘れている。

 

気力も続かない。

実際8時間も続けて作業するのは、

没頭していない状態ではかなり負担だ。

不可能と言っても良い。

 

だがその間にかなり短くても、

連続を切れるタイミングがあれば?

なんども気持ちを切り替えて作業できる。

ゴールが近くに見えている時だけ頑張れる。

 

実際、

短時間の休憩を使わず作業するのは、

「何もしない」になってしまうのが殆どだ。

面白い

面白いとは、変な事をしている一体感。

 

変な事、

それは必ずしも所謂ボケのみでは無い。

 

確かに、

手段を聞く「なんで来た?」に対して、

「来たいからだよ」みたいにズラして答えると、

面白いと思われる事は多い。

(この例は面白く無いが)

 

だが、

これも意味が伝わっていなければどうだろう?

面白い、面白く無い以前に、

何を言ってるのか分からない。

 

それは一体感をなくしてしまう。

つまり、つまらなくなる。

 

変な事も色んなバリエーションがある。

すごくマニアックな話をわかる人間同士でする、

普通に考えてありえないくらいリアクションが大きい、

ディスられて喜ぶ、弄り弄られる....

 

具体的な所では色んなパターンがあるが、

一体感を欠いてしまうと、

一人でマニアックな話をして引かれるだけ。

嫌な所を弄るなんて悪意に見えるだけ。

 

じゃあ一体感を持てるような、

変じゃない事は?

普通のちゃんとした会話である。

 

相手からすると、ちゃんとしていないといけない。

腹立ったり嫌とは思われないが、なんとなく疲れる。

 

誰しも相手を困らせてやろうと思ってギャグは言わない。

だがツボを抑えていないから、

つまらないと思われてしまう。

 

面白くない人間は居ない、

ツボを知らない人間は居る。

ただそれだけ。

良い意見

結論と背景。

良い意見にはこれらの要素が必要。

 

これらが無いとどうなるのか?

 

例えば結論が無い意見。

何を言っているのか全く分からない。

誤魔化して煙に巻くのが目的でないなら、

必要無いだろう。

 

聞き手の印象としては、

何を言っているか分からない、になる。

 

背景が考えられていない意見。

突っ込まれた時の答えが用意されていない。

聞き手からは、

思いつきで言っただけ、

何も考えていない浅はかな意見と映る。

 

つまり

結論さえ決まってしまえば、

結論に対応する背景を2,3個用意する。

それだけで十分に良い意見と言えるだろう。

 

考えは浅い方が良い

考えは浅い方が良い。


一般的には深い方が良いと言われる。
それは試行回数に制限がある場合だ。
考える事で生まれるのは仮説、
行動することで生まれるのは事実。 


失敗してしまった、
失敗について深く考える。
淡々とした事実だけ見れば良いが、
人間、感情込みで考えてしまう。


すると、テンションが下がる。
怖くなる。何も出来なくなる。
動けなくなる。
だから考えが浅い方が良い。


考えが浅いと、
失敗の感情を引き摺りにくい。
全く引き摺らないわけではないが。


そして、
失敗の事実は目の当たりにしてるわけで、
深く考えたときより詳細ではないが、
失敗のデータが手に入る。


だから、
考えが浅いと、
結果的に多くのデータが手に入る。


さらにどれだけ深く考えても、
一回で手に入る情報量には限界がある。


考えを浅く、何度も動く。
それが結果的に、
本質的に深い思考を生む。