人間関係=ボクワタシ物語

「人間関係が悩みで〜」などというが、

その悩みは人間についてでも、関係についてでもない。

ボク、ワタシの物語にぴったり合うピースが無い。

というのが本音。

 

 

あの人合わないんだよね、ピンと来ないんだよね。

なんてプライヴェートな関係性だということがあるが、

要は人間関係が充実しているという

ボク、ワタシというストーリーにそぐわないという事。

 

 

身近な人となると、

そこそこ清潔感があって常識があってイケてる。

みたいな人が好まれて、

歴史を変える偏屈のアーティストが好まれないのもこの理由。

(すごい才能の持ち主との人脈があるというストーリーを好むなら別だが)

 

 

さらに多くの場合、

そのストーリーは分不相応なものであることが多い。

ほとんどの人間は自己評価が低く、自己愛が強すぎる。

 

 

自分自身のことを、中々便利で性能の良い乗り物、ラッキー。

程度に考えられると文字通り人生をうまく乗りこなしやすいが、

想像以上に誰も彼も悲劇のヒロイン。

一億総悲劇のヒロイン時代なのか?というくらいに。

 

 

こうなるともう現実が生き地獄としか見えない。

あらゆる事がうまくいかない。

しかもそれは全部運のせいだ。という風に見える。

 

 

じゃあ何をするって社会を、親を、もっと大きな何かを、

「たまたま運が良かっただけで上手く行った奴ら」を恨むしかやる事がない。

 

 

しかしながら、

得てして問題点、課題というのは、

曖昧なイメージだと膨大に膨れ上がってしまうものの、

具体的なタスクに落とし込んで仕舞えば存外少ないものだ。

 

聞いた話だと、

海外の昔の大社長が悩みすぎて自殺を考えた時、

悩みを全て書き出した結果、70~80個程度しか無かったようだ。

 

とすると、

一億人の悲劇のヒロインたちの悩みはもっと少ないはず。

さらにこの点においては客観視できていない一点が問題だ。

 

 

客観視を強める方法は様々あるが、

例えば、

複数の事柄を繋ぎ合わせたストーリーではなく、

事実の点だけをみるという方法がある。

マインドフルネスとしてイマ、ココなどと良くいうやつである。

 

 

無意識で色眼鏡をかけたまま見えている点を

都合よく繋ぎ合わせたり削除したストーリーでなく、

事実を見るように習慣づける。

 

 

他にも客観性を高める方法は溢れかえっており、

すぐにも今の悩み程度になら効果が出るし、

長い目で客観性を高めていけば、

他が何も変わらなくても、あらゆる事がうまく回りだす。

 

 

面白い人間、魅力的な人間とは、

無自覚に自己愛が強い「良い人」よりも、

的確に客観視だけはできているクズである。